再開発に伴う発掘調査

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 愛宕下地域では平成一六~二三年(二〇〇四~二〇一一)の足掛け八年の長きにわたり、環状第二号線新橋・虎ノ門地区の市街地再開発事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われた。対象となったのは港区新橋四丁目・西新橋二丁目・虎ノ門一丁目のうち第一京浜(国道一五号線)から桜田通り(国道一号線)までの区間、直線距離約九八〇メートル、幅約四〇メートルである。それは図2-3-1-1「江戸時代の愛宕下地域」に点線で示したように、まさに愛宕下地域の中心を東西に貫くものであった。
 この発掘調査に伴い、江戸時代にこの範囲に所在した武家屋敷とその変遷について、古文書や絵図などによる文献史学的調査も行われた。それによれば江戸時代、調査地に掛かる屋敷地を持った武家は、判明する限りで延べ大名二九家と幕臣九九家に上ることがわかった。とりわけ幕臣の屋敷地がこれほど広範に、数多く調査対象となった例はかつてなく、考古学・文献史学双方から、その地域におけるあり方を追求した稀有(けう)なものとなった。
 この調査では、江戸幕府普請方が作成した江戸の区分地図「御府内往還其外沿革図書(ごふないおうかんそのほかえんかくずしょ)」(東京都公文書館所蔵、『江戸城下変遷絵図集 御府内沿革図書』八・九)の地区割りとその名称に準じて、仮に調査範囲を東から西へ、芝口地区・愛宕下地区・西久保地区と三区分して調査を進めたところ、まずは地区区分ごとの変遷の概要から、その各々の特徴をとらえることができた(渋谷 二〇一四)。以下、その調査成果を見ていこう。
 なお、本節では芝口・愛宕下・西久保が調査範囲の地区区分を表す際は、地名と区別するために、便宜上〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕と表記することにする。  (渋谷葉子)