〔愛宕下〕の範囲とその絵図

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 ここでいう〔愛宕下〕とは、図2-3-1-1中で網掛けしたうち、東を愛宕下大名小路(広小路通)、西を愛宕下通、南を薬師小路、北を神保小路に限られた街区で、現行の新橋四丁目一~四番と西新橋二丁目一六~三九番、およびこれらに挟まれた日比谷通りの範囲にあたる。江戸時代の切絵図等は「愛宕ノ下」と記しており、「アタゴノシタ」と呼びならわしたもようである。図2-3-3-1「絵図に見る〔愛宕下〕」①~⑩はその範囲を描いた絵図で、①は『寛永図』、②は「寛永全図」、③~⑩は「沿革図書」である。以下、絵図から屋敷地のあり方と所持者の変遷を概観する。なお、①~⑩は、いずれも方位は上方がおおむね北である。