〔西久保〕の範囲とその絵図

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 ここでいう〔西久保〕とは、図2-3-1-1の網掛けしたうち、東を愛宕下通、西を西久保通、南を鎧(よろい)小路、北を三斎(さんさい)小路に限られた街区で、現行の虎ノ門一丁目二二~二三番にあたる。江戸時代の切絵図等には「西ノ久保」と記されており、「ニシノクボ」と呼びならわしたもようである。図2-3-4-1「絵図に見る〔西久保〕」①~⑪はその範囲を描いた絵図で、①は『寛永図』、②は「寛永全図」、③~⑪は「沿革図書」である。以下、絵図から屋敷地のあり方と所持者の変遷を概観する。なお①~⑪は、いずれも、方位は上方がおおむね北である。