旗本屋敷地と利用の状況

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 表2-3-5-2「「諸向地面取調書」より屋敷地所持者一覧」は〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕の各々の屋敷地利用のあり方を知るために、主に「取調書」の記載をまとめて作成したものである。

表2-3-5-2 「諸向地面取調書」より屋敷地所持者一覧
渋谷葉子「愛宕下における武家地の諸相-芝口・愛宕下・西久保-」東京都埋蔵文化財センター編『港区 愛宕下遺跡Ⅲ』第1分冊(東京都埋蔵文化財センター調査報告第286集、2014)、表4「『諸向地面取調書』より屋敷地所有者一覧」をもとに作成
大名家は網掛けとした


 これによれば、まず大名屋敷について、愛宕下大名小路に面した毛利家と田村家の屋敷は上屋敷だが、それ以外はほぼ中屋敷である。そして〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕に中屋敷を所持する大名家の上屋敷は愛宕下、外桜田、大名小路辺りにあり、つまり上屋敷近くに中屋敷を求めたのである。本章二節三項「拝領屋敷の売買」で述べたように、大名家は自らの必要に応じて拝領屋敷を獲得・拡張したが、その結果、〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕の旗本屋敷地の少なくない部分が大名屋敷地に転換したのである。しかもその多くが中屋敷だった点が、〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕の特性であったことが指摘される。
 次に旗本屋敷について、それを居屋敷としている者が〔芝口〕は一名中一名、〔愛宕下〕は一〇名中九名、〔西久保〕は一一名中八名と、全体的にその割合は非常に高い。しかし内実を見ると、居屋敷とした者のうち、その一部や長屋を他者へ貸与している者が〔芝口〕と〔愛宕下〕では皆無なのに対して、〔西久保〕では八名中五名と半数以上に上る。つまり〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕の旗本屋敷地は、所持者の階層の差が、その利用のあり方に大きく反映したもようが認められるのである。