近世における宗教の特色として、宗派の分立が指摘される(引野 二〇〇七)。ほとんどの寺院や僧侶は、いずれかの宗派ごとにまとまって、教団を形づくった。それぞれの宗派の本末関係などによって寺院は編成され、僧侶はいずれかの寺院に所属することとなった。これは、宗派ごとの教団が全体的には成立しておらず、様々な教義が寺院や僧侶間で広く兼学されていた中世までとは、異なる歴史的段階を示している。
僧侶以外の人々も、特定の寺院との間に葬式・法事や祈禱(きとう)などを通じてつながりを持った。これを寺檀(じだん)関係と呼んでいる。村や町の成員が亡くなれば、家族や地域住民は葬式・法事を営む。その際、故人の家と寺檀関係を結んでいる寺院の住持(じゅうじ)(住職)が、葬式・法事に関与し、死後の安楽などを保障する。この場合、寺院を菩提寺(ぼだいじ)・檀那寺(だんなでら)などと呼び、家や家族を檀家(だんか)・檀那(だんな)・檀越(だんおつ)などと呼ぶ。
寺院は檀家の布施(ふせ)によって経済的に支えられた。先に述べた寺院の創建は、寺檀関係の形成をも意味している。寺院・僧侶が布教の対象や経済的な基盤を求める一方、村や町は葬式・法事や祈禱などを求めて寺院を創建し、僧侶を招いたのである。こうして寺院と地域住民との間には、二月・八月の彼岸(ひがん)や七月の盂蘭盆会(うらぼんえ)(いずれも旧暦)をはじめとして、様々な年中行事が展開するようになった。
神社と地域住民との間にも、固定的な関係が形成された。すなわち、神社は共同体の繁栄と不可分の祭礼の拠点となり、住民は氏子として初穂料(はつほりょう)などによって神社を支えた。近世段階では、一人の神職がいくつもの神社をかけ持ちする場合が多く、一社ごとに神職がいたわけではない。また、祭祀(さいし)権や祭神のあり方も多様であった。流行神(はやりがみ)のように、特定の時期・地域において盛り上がりを見せる神仏も知られている。
当時は神仏習合(神仏混淆(こんこう))といって、神と仏を一つに合わせた事例が広く確認できる。例えば、寺院の境内に神社があり、逆に神社の境内に寺院があった。また、神社の祭礼を社僧(しゃそう)と呼ばれる僧侶が務め、神体(しんたい)が仏像の場合もあった。そして、これらを根拠づける教えや由緒が説かれた。こうした事例は、天台宗や真言宗をはじめ、真宗以外の宗派に顕著である。