寺院の建立・移転

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 天正一八年(一五九〇)に徳川家康が江戸を本拠地とし、それ以降の都市建設の中で、寺院の建立・移転が進んだ。港区域では、例えば慶長三年(一五九八)に増上寺(浄土宗)が芝へ、同五年に青松寺(曹洞宗)が愛宕下へ、それぞれ移転してきたとされる。また同じ頃、西久保に寺町が形成されたようである。この寺町は、「寛永江戸全図」でも確認できる(図3-1-1)。
 江戸城やそれを取り巻く武家地・町人地の拡張に伴い、城近辺の寺院は港区域を含む郊外へと移転し、江戸の外郭を構成した。三田寺町(現在の三田四丁目)もその一例である。また、明暦の大火(一六五七)後に都市が再建される中で、寺院の郊外への移転は一層進んだ。港区域では、増上寺をはじめとする大寺院や寺町に見られるように、比較的多くの寺院が定着することとなった。その詳細は、一章一節三項で述べたとおりである。