一方、古跡の売買・交換によって寺院が建立される場合もあった。例えば白金の瑞聖寺(ずいしょうじ)(黄檗宗(おうばくしゅう))は、開山の木庵性(もくあんしょう)瑫(とう)(宇治万福寺二世住持)が芝金杉浄念寺の焼失後の寺地を寛文一〇年(一六七〇)に買得し、この寺地が狭かったため、彼に帰依する青木重兼(しげかね)(摂津麻田藩二代藩主)が下落合の屋敷地を岡部勝重(旗本)の白金の屋敷地と交換し、この白金の屋敷地を金杉の寺地と交換することで、より広い白金の境内地を得て翌年に建立された(図3-2-1-1)。瑞聖寺は宇治万福寺の末寺となり、青木重兼は開基(かいき)とされた(辻 一九五三、竹貫 一九九〇)。
図3-2-1-1 瑞聖寺
白金台三丁目
その他にも、廃絶した寺院の称号を取ってきて新たな寺院を建立するという、古跡再興の名目での寺院建立(引寺(ひきでら))がなされた。