幕府の軌道修正

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 その後、元禄期(一六八八~一七〇四)に幕府は軌道修正を行う。すなわち、寛永八年(一六三一)までに建立された寺院が古跡で、翌年より建立された寺院が新地である旨が貞享五年(一六八八)四月に確認されるも(『御触書寛保集成』一一八〇)、元禄五年(一六九二)五月には、四代将軍徳川家綱の一三回忌の法事ということで、それまでの新地の寺社が免許となり、以後の分が禁止された(同一一八二)。
 のみならず、同年七月には、それまでの新地の寺院を古跡として扱うとしている(同一一八三)。もっとも、古跡になったからといって、潰れた状態の寺院を再興したり、庵室(あんしつ)を寺院に昇格させたりすることは許されず、それ以後の新地における寺院の建立も禁止された。実際には寺院などの建立が各地でやまない中、それとの摩擦や妥協を伴いつつ、幕府の統制が展開したのである(朴澤 二〇一七)。