一方、麻布の善福寺(真宗西派)には、天保三年(一八三二)から明治六年(一八七三)にかけての計九冊の日記* が伝存している(ただし、欠年があることから、他の日記もあったと思われる)。そこには檀家の葬式・法事に関する記事があり、当時の真宗寺院における葬祭のあり方を具体的に知ることができる。
特に、年代順で見たはじめの二冊(天保三~嘉永六年〈一八三二~一八五三〉)は檀家の葬式・法事の記録に特化したものとなっている。例えば、一冊目の冒頭の記事は、天保三年八月五日に蒲生助九郎の親族である清凉院の三回忌の法事を営んだというものである。その前日の八つ時(午後二時頃)、地中の真福寺の内役僧が逮夜(たいや)(前夜の法事)に参詣し、五日には蒲生家の参詣があって善福寺の本堂で読経がなされ、地中が総出勤したとある。法事料(金一〇〇疋(ぴき))、初穂(同額)、院主(いんじゅ)(住持)への布施(同額)をはじめとする諸費用についても記されている。蒲生家は武家であり、以後も関連記事が見えるが、その他の武家や商家の事例もある。