図3-2-4-1 金地院
芝公園三丁目
元和五年九月に崇伝が二代秀忠から僧録(そうろく)に任じられて以来、歴代の金地院住持は幕府から僧録(僧録司(そうろくし)とも)に任じられ、臨済宗五山派を統括する立場にあった。崇伝以降の住持も、京都と江戸を往復しつつ執務に当たった。このことは、既に活字化されている崇伝の日記(『本光国師日記』)や最岳元良の日記(『近世仏教』第三~六号に「金地日録」として掲載)からもわかる。また、住持のもとで役者が、触の伝達や幕府寺社奉行への訴願の取り次ぎ、同奉行との交渉といった様々な業務を担った。
東京都公文書館には、芝金地院に伝来した史料群が所蔵されている(芝金地院文書)。この中には、僧録司の日記(「金地日録」 *)や役者の日記(「金地役者雑記」 * 「記録」など)も多く含まれており、金地院の担った職務が詳細に判明する。また、臨済宗五山派の「本末牒(ほんまつちょう)」が確認できるほか、「金地院公用留(こうようどめ)」 * からは、各地の五山派寺院の宗門改の結果が金地院に上申され、寺社奉行所に報告されたこともわかる。芝金地院文書は、京都金地院文書や東京大学史料編纂所所蔵「金地院記録」と共に活用が望まれる史料群である。