曹洞宗の関三刹と江戸三箇寺

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 一方、曹洞宗では、関三刹(かんさんさつ)と呼ばれる下野国富田(とみた)大中寺・武蔵国越生龍穏寺(おごせりゅうおんじ)・下総国国府台総寧寺(こうのだいそうねいじ)が全国の末寺を統括し、江戸に宿寺(しゅくじ)(出張所の寺院)を設けていた。大中寺宿寺(天暁院(てんぎょういん))は三田、龍穏寺宿寺は麻布にあった(表3-2-4-1の8・9番)。
 それとは別に、江戸の曹洞宗寺院を統括する江戸三箇寺(さんかじ)として泉岳寺(同10番)・青松寺(同11番)・橋場(現在の東京都台東区橋場)総泉寺があった。泉岳寺と言えば赤穂浪士が連想されようが(名所化については五章四節一項参照)、江戸三箇寺の一つとして曹洞宗の寺務を担っており、後述するように学寮も設けられて僧侶が養成されていた。以上の曹洞宗の触頭寺院間でも、独自の分担制や合議制の仕組みが整えられた。