日蓮宗の池上本門寺のもとでは、承教寺(じょうきょうじ)(本章五節参照)と朗惺寺(ろうせいじ)が江戸触頭を務めた(同13・14番)。『大田区史』資料編・寺社一には、両寺に伝来した史料が掲載されている。特に、承教寺に伝来した記録類が多く掲載されており、触頭の職務について知ることができる。
例えば、幕府の寺社奉行が新たに就任したことを通達された際は、池上本門寺と配下寺院に廻状(かいじょう)を出した上で、承教寺住持と朗惺寺住持が一緒に寺社奉行所(寺社奉行となった譜代大名の江戸屋敷)へお祝いの挨拶に参上し、寺社奉行の部下の寺社役人に印鑑を押した紙(以後の確認用)を提出し、お目見えの願書を出した。その願いが許されると、後日の寺社奉行の寄合時にお目見えに参上したようである。また、承教寺や朗惺寺の住持が交代する場合も、寺社奉行所に願書を出し、新しく入寺した住持はお目見えを行っている(大田区史編さん委員会編 一九八一)。
以上のように、宗派による個性もあるが、江戸触頭が一般的に成立し、教団運営を担うこととなった。