寺院組合と講

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 ところで、触下寺院は必ずしも分散していたわけではなく、近隣寺院同士の組合に編成される場合があった。触頭の管轄地域の諸寺院が、いくつかの組合に分かれてまとまっている状態である。組合は、相互監視の役割を果たすと共に、互助団体的な性格も持っていた。そして、本山-触頭-組合の編成に基づいて、各種の上申下達のみならず、寺院・僧侶の動員、金品の授受、教学・風儀の統制、違法行為に対する裁判・処罰、寺院間の意思決定・連帯責任・相互扶助といった様々な事柄が実現した(坂本 一九七四、上野 二〇一六)。例えば、築地本願寺所蔵の「築地輪番日記」からは、港区域の真宗寺院組合の動向についても確認できる。
 また、港区域を含む都市部では、特定の地区に諸寺院が集められ、寺町が成立したことが知られている。寺町の諸寺院が組合を結成する場合もあった。宗派を超えて組合が結成された場合は、特定宗派の下部組織とはならないが、触の伝達や利害関係の調整、その他の都市生活維持のために機能した。
 一方、講などの地域住民の組織は、近隣の寺院とつながることがあった。そして、これが寺院の触頭制度と組み合わさることで、地縁的団体としての仏教教団が成立する。ただし、講は寺院・教団の下部組織にとどまらない独自性を持っていた。また、講は様々な契機で組織され、寺院とつながりを持たないものもあった。  (上野大輔)