それぞれの宗派は、独自の教義・信仰を掲げ、自宗の正統性を主張した。天台宗や真言宗は祈禱(きとう)を主に担っていたが、一方であらゆる衆生(しゅじょう)(人間をはじめとする生き物)が本来的に悟りを具(そな)えているとする天台本覚(ほんがく)思想が説かれ、真言宗においても、自分を含めてあらゆるものに究極的な原理(仏性(ぶっしょう))を認めようとする立場が保持された。こうした思想は前代にも確認できるが、近世においては独自の組織・媒体を通じて人々の生活や救済を肯定することになった。
禅宗と言えば、座禅や問答が連想されようが、近世では葬祭や祈禱、道徳の説法などによって民衆に対しても影響力を持った。禅僧の著作を確認すると、しばしば禅宗系の「心」の哲学である禅心学(ぜんしんがく)が教義の中心的な位置にある。「心」の哲学とは、「心」を中心とする世界観・人生観である。「心」は、世界を貫き自己にも宿る究極的な原理として語られる場合がある。そして、この「心」が仏であると知ること(見性(けんしょう))が重視された。
浄土宗では、三心(さんしん)(至誠心(しじょうしん)・深心(じんしん)・回向発願心(えこうほつがんしん))の具わった称名(しょうみょう)念仏の功徳(くどく)によって西方(さいほう)極楽浄土に往生することを目的とする。自己の功徳を振り向けること(回向)によって、他者を救済することも可能とされた。模範的な行者についてまとめた『往生伝』が流布したことも注目されるが、同書からは道徳的生活を重視する立場も読み取ることができる。
真宗では、蓮如(れんにょ)の「御文章(ごぶんしょう)」(「御文(おふみ)」)に基づく教義が伝達された。その内容は、阿弥陀如来に帰依することで来世の極楽往生が確定し、以後は感謝の念仏を称え、領主の法令や世間の道徳に従って生活する、というようなものであった。模範的な信者の姿を示す『妙好人(みょうこうにん)伝』も作成された。
日蓮宗(法華宗)は法華経中心主義に立ち、題目を唱えること(唱題(しょうだい))を重視した。日蓮宗が地域に受容される過程で、法華経を守護する日本各地の神々である三十番神(さんじゅうばんしん)の勧請(かんじょう)がなされ(法華勧請)、他の寺社への参拝が禁止されるなど、独自の秩序が構築された。