次に、教団内に門跡寺院を含まない新義真言宗の事例に触れておきたい(朴澤 二〇一四、二〇一五)。この宗派の寺格は、幕府との関係や教団内の位置などによって示される。幕府との関係とは、具体的には将軍から朱印状で寺領を与えられているか(朱印地であるか)、江戸城で年頭に催される寺社の将軍への挨拶において独礼(どくれい)という格式を認められているか、といったことである。教団内の位置とは、田舎(いなか)本寺や田舎談林(だんりん)であるかといったことであり、本末制度や教学・修行に関する制度とつながってくる。こうして、その寺院の住持が着る色衣の色も決まった。
新義真言宗の僧侶は、一定以上の寺格を持つ寺院の住持となるためには、その寺院と対応する色衣を着るための許状を得る必要があった。許状は、その僧侶の本山での修学年数を踏まえて、京都の仁和寺・大覚寺(共に古義真言宗)の両門跡が発給した。発給に至る過程で、江戸四箇寺が僧侶の履歴(りれき)の審査などに当たっている。また、仁和寺・大覚寺の両門跡は、新義真言宗僧侶に対する僧位・僧官の補任(ぶにん)も担ったが、僧正の補任は勅許によってなされた。このように、僧侶は修学によって色衣や僧位・僧官の免許を得て、有力寺院の住持に就任することができた。