拡がる大門門前通り-江戸の玄関口として

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 また、文政年間(一八一八~一八三〇)の記録によれば、同年八月、浜松町から大門までの門前通りは、従前道幅七間半(約一三・五メートル)であったが、両側二間ずつが拡幅され一一間半(約二〇・七メートル)となった。以後、江戸後期・明治期に描かれる大門前の錦絵の風景には、境内伽藍の円熟と、堂々たる大門門前通りの姿が透視図法を用いた西洋画さながらに描かれる(図3-3-2-4)。東海道品川宿を発つと、やがて増上寺五重塔が見えてくる。江戸の玄関口となった芝増上寺は、東海道浜松町から西方向に、道幅の広い門前通りをまっすぐに見通せば、大門・三門・本堂・武蔵野崖線の丘陵の森が連続し、重層してそびえる。江戸の都市計画を代表する堂々とした景観を見せていた(口絵11は現在の大門からの見通し景)。

図3-3-2-4 「東海道名所之内 芝増上寺」(広重)
国立国会図書館デジタルコレクションから転載