護国殿と経蔵

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 また同年には、従来から境内の小堂としてあった、家康の守護神である黒本尊を祀る護国殿が、本堂後方に建てられた(図3-3-2-11) 。享和二年(一八〇二)には、経蔵が現在の位置である三門南側に移転、新築されて現存する(図3-3-2-12)。裳階(もこし)(建物外側に設けられた庇状の部分)付きの重厚な土蔵造りで、火災が多い江戸で寺院が防火建築を作るようになった時期の好例である。内部の増上寺三大蔵経を収めていた輪蔵(りんぞう)は極彩色である。江戸後期において、幕府による新築行為が少なくなったことから、増上寺での経蔵再建は江戸幕府でも慶事であったとみられ、御霊屋参詣の折に一一代将軍徳川家斉が経蔵を見学した記録が増上寺に残る(増上寺所蔵「御経蔵再建記」 *)。

図3-3-2-11 黒本尊(護国殿)
東京国立博物館所蔵 研究情報アーカイブズから転載 明治42年(1909)焼失

図3-3-2-12 明治期の増上寺経蔵
東京国立博物館所蔵 研究情報アーカイブズから転載 現存