山内の鎮守や小堂

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図3-3-3-1 蓮池弁財天附近の図


 山内は神仏混淆(こんこう)で、随所に鎮守社や小堂があったことがわかる。増上寺の鎮守として熊野社があったが、坊中の瑞華院が熊野社の別当を兼帯していた。熊野社は境内北東で鬼門の位置にあり、弁財天を祀る蓮池(図3-3-3-1)が南西で裏鬼門にあたる。 『三縁山志』の「鎮座祭祠」の項には鎮守社や小堂が多数列挙される。例えば、安国殿東にある飯倉神明宮は増上寺が転地してくる前から当地にあり、芝神明宮の前身といわれる。その別当は台徳院別当の宝松院である。瘡守(かさもり)稲荷は、清揚院別当である通元院の敷地内にある。坊中の観智院内には産千代(うぶちよ)稲荷神社、廣度院には疱瘡除(ほうそうよけ)不動明王など、山内寺院の境内に勧請され別当を務めているものも多い(本節末の表3-3-1・鎮守社・小堂欄参照)。これらは『江戸名所図会』や『東都歳事記』にも紹介され、庶民の参詣もあった。こうした伽藍や御霊屋とは別に存在する、いわば小さなランドマーク群は、山内の各地に固有の景観を生み出していた。