山内の地名

375 ~ 375 / 499ページ
 人口三〇〇〇人を有していた境内には、場所や界隈(かいわい)を示す地名が付けられている。前述の三島谷や、芝神明宮の旧地が学寮となった天神谷などの学寮地は、街路を中心に「谷」の名称が付けられ、それらが九か所あることから「九谷(くたに)」と総称される。御成道に松原を介して並行する松原通りは坊中の並ぶ街路である。さらに東の坊中の密集する裏道は、八軒寺町(松原裏通りとも)と呼ばれた。東京大空襲で景観は失われたが、これらの街路は現存しているものが多い。学寮地であった旧袋谷からは、西に台徳院惣門・かつての霊廟までが見通せるヴィスタ景(見通し景)が残る。
 桜川の支流が内外をめぐり、台徳院霊廟からも水流がある山内は、随所に橋が架けられていた。御成道の突き当たりで、台徳院霊廟の入口である極楽橋、袋谷に渡る緑影橋、大門の前には向海橋など、空間の結界を示し、景観を詠む名称が与えられていた。