江戸時代に港区域に存在した神社を概観すると、芝神明宮、三田八幡宮、西久保八幡宮、赤坂氷川社、麻布氷川社、烏森(からすもり)稲荷社など、古代・中世以来の由緒を持つ神社も少なくない。これらはヤマトタケルや天慶(てんぎょう)の乱、源頼朝にまつわる伝承に彩られており、徳川家康の関東入国以前からの地域の信仰や豪族の帰依を基盤としている。これは港区域の大部分が台地上に位置しており、家康入国後に埋め立てて開発された地域が少ないことも背景としてあろう。
その一方で、家康入国以後に創建された愛宕権現社や、改めて幕府の庇護を受けて社領を拝領した芝神明宮や赤坂氷川社、連衆(れんじゅ)として江戸城での連歌会(本節三項参照)に参加する烏森稲荷社、麻布末広稲荷など、幕府の支配秩序に組み込まれた神社も多い。
また、数量としては圧倒的に稲荷社が多いのも特徴で、その多くは一七世紀初頭から一八世紀にかけて勧請されたものであり、別当として修験などが置かれていたり、町内で管理されたりしている傾向が強い。そして、修験では本山派・当山派(本節四項参照)双方の触頭(ふれがしら)が港区域に所在していたことも大きな特徴である。
なお、大名屋敷や旗本屋敷内にも勧請された神社があって、赤羽橋の久留米藩有馬家上屋敷内の水天宮、虎ノ門外の丸亀藩京極家上屋敷内の金刀毘羅宮、赤坂の福岡藩黒田家中屋敷内の天満宮などが知られている(本章五節参照)。 (滝口正哉)