江戸の氷川社

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 港区域内には赤坂氷川社と麻布氷川社そして白金氷川明神がある。そもそも「氷川」の名称は、出雲国の簸川(ひのかわ)(現在の島根県東部および鳥取県西部を流れる斐伊川(ひいかわ))に因むものといわれる。南関東には氷川社が多く分布しているが、これはスサノオを信仰する出雲氏族が古代に武蔵国造となって、武蔵国東部に移住し開発していった伝承と符合するようである。
 江戸にも氷川社は複数あって、一八世紀中頃の成立とされる『望海毎談』には、①赤坂門外、②今井の盛徳寺内(本氷川神社)、③麻布一本松(現在の麻布氷川社)、④羽根田村にて新堀近き所、⑤下渋谷にて羽根田の屋敷(現在の東京都渋谷区渋谷)、⑥上水のはたなる万年寺山の社、⑦巣鴨の入口(小石川氷川明神、現在の東京都文京区千石の簸川神社)の七か所の氷川社を紹介している。このうち①が赤坂氷川社のことで、その北側に隣接する地に②の盛徳寺はあった(神奈川県伊勢原市に移転、本章三節二項コラム参照)。
 一方、天保九年(一八三八)に刊行された斎藤月岑(げっしん)編『東都歳事記』には、江戸の氷川社として、①麻布一本松氷川社(別当は真言宗徳乗寺、元麻布一丁目)、②板橋氷川社(真言宗長命寺持、東京都板橋区東新町二丁目か)、③千住掃部(かもん)宿鎮守氷川社(真言宗不動院寺持、東京都足立区千住仲町)、④小石川氷川社(別当は浄土宗宗慶寺、東京都文京区千石二丁目)、⑤高田氷川社(別当は真言宗南蔵院、東京都豊島区高田二丁目)、⑥赤坂氷川社(別当は本山派修験大乗院、赤坂六丁目)、⑦小日向上水端氷川社(別当は曹洞宗日輪寺、東京都文京区小日向一丁目)、⑧渋谷氷川社(別当は天台宗宝泉寺、東京都渋谷区東二丁目)、⑨白金氷川明神(別当は天台宗報恩寺、白金二丁目)の九か所が紹介されている。このうち⑥が赤坂氷川社であり、『望海毎談』の七氷川と重複するものもあるが、異同も多い。
 いずれにせよ、江戸とその周辺には氷川社が一〇社近く存在し、なかでもやがて最大規模に発展するのが赤坂氷川社なのであった。
 一ツ木村(人継村)のうち、現在の旧赤坂小学校跡地周辺の台地は、古くは「古呂故ヶ岡(ころこがおか)」と呼ばれていた。この「古呂故」は「小六」と表記することもあったようだが、この地において天暦五年(九五一)に創建されたのが赤坂氷川社であるといわれている(『江戸名所図会』)。おそらく武蔵国一宮の氷川社を勧請したと考えられるが、同時に仏教的な縁起もあった。
 これに関して、寛文二年(一六六二)に浅井了意が著した『江戸名所記』の記述によれば、天暦五年に近江国甲賀郡に住む天台宗の蓮林僧正が東国修行の途次にこの地で一夜を明かすと、夢中に老人が現れ、「私はこの地中に長らく埋もれている者である。すぐに掘り出して安置すればこの地の守護神になってあげよう」と述べて消えた。目覚めた蓮林僧正は付近を探し回ると、はたして金色に光る場所があり、そこを掘ると十一面観音像が姿を見せた。そこでこの地に堂舎を建てて安置し、「一木村の観音」と名付けると、多くの人が参詣に来るようになったというのである。その後治暦二年(一〇六六)の夏、旱魃(かんばつ)に苦しむ村人たちが社に雨乞いの祈願をすると、たちまち雨が降り、村を救ったという。
 右の伝承からもうかがえるように、赤坂氷川社は古代から一ツ木村の鎮守として住民の信仰を集め、江戸時代に入っても神仏習合の寺社として同所に鎮座していたと推測される。やがて周囲が開発され、武家屋敷や町人地が建ち並ぶようになるが、その頃の様子は享保八年(一七二三)に刊行された石川流宣(とものぶ)の『分道江戸大絵図』にも描かれており、「氷川明神」の他に「小六宮」と記されている。また、前述の『江戸名所記』にも「氷河大明神」として挿絵を載せ、丘を上って社殿に参詣する人々を描いている。
 一方、港区域内には他にも前述の麻布氷川社・白金氷川明神があった。このうち、麻布氷川社は『江戸名所図会』によれば、麻布の総鎮守であり、近世初頭までは宮村町(現在の麻布十番二丁目、六本木六丁目ほか)の切通坂(暗闇坂)のところにあったという。なお、その創建については二つの説があって、天慶五年(九四二)九月一七日に源経基(みなもとのつねもと)が東征のとき(『麻布区史』一九四一)とも、文明年間(一四六九~一四八七)に太田道灌が武蔵一宮である大宮の氷川社から勧請したもの(『江戸名所図会』)ともいう。
 また、『江戸名所図会』では白金氷川明神についても触れており、日本武尊(やまとたけるのみこと)が大宮の氷川社を遥拝した場所だという伝承を紹介している。そして、その北にある雷電宮は白河天皇(在位一〇七二~一〇八六)の時代にこの地に疫病が流行した際、氷川明神の神託があったために創建されたという由緒を述べている。いずれにしても、古代・中世以来連綿として地元の信仰を受けていたのだろう。

図3-4-2-1 徳川吉宗朱印状 *
赤坂氷川神社所蔵