図3-5-1-1 増上寺三解脱門
一七世紀に辿る建物はこの増上寺三解脱門をはじめとして、寛永九年(一六三二)の台徳院(二代将軍徳川秀忠)霊廟惣門(れいびょうそうもん)(図3-5-1-2)、慶安年間(一六四八~一六五二)の旧方丈門(図3-5-1-3)など、増上寺を庇護した江戸幕府の造営によるものが占める(増上寺については本章三節を参照)。この時期の建築的特色は、幕府の公儀普請による造営ということもあって、規模の壮大さや壮麗な装飾性といった豪華さの志向に求められる。例えば、台徳院霊廟惣門は据破風(すえはふ)を正面に設けた特異な外観を凝らし、旧方丈門も全体を黒漆塗りとし、唐獅子と牡丹をあしらった精緻な蟇股(かえるまた)彫刻が見られる。しかしながら、こうした江戸時代前期に見いだせる豪華さを誇る建築の特色は、次の江戸時代中期へ向かって変質していく。
図3-5-1-2 台徳院霊廟惣門
図3-5-1-3 増上寺旧方丈門