江戸時代前期の豪華さ

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 歴史的建造物悉皆調査の時点で港区内には、中世寺院建築も現存した。すなわち、高輪プリンスホテル観音堂、般若苑表門、根津美術館明月門の三棟である(現在は観音堂だけが港区内に現存する)。けれどもこれらはいずれも、明治時代以降に近代数寄者(すきしゃ)が自身の広大な邸宅へ、奈良や鎌倉の名刹から古建築を移築した由来を持つ。そのため、その中世造営当初から港区内に所在したわけではない。当初から港区内に造営された最も古い建築は、元和八年(一六二二)に造営された増上寺三解脱門(図3-5-1-1)である。

図3-5-1-1 増上寺三解脱門


 一七世紀に辿る建物はこの増上寺三解脱門をはじめとして、寛永九年(一六三二)の台徳院(二代将軍徳川秀忠)霊廟惣門(れいびょうそうもん)(図3-5-1-2)、慶安年間(一六四八~一六五二)の旧方丈門(図3-5-1-3)など、増上寺を庇護した江戸幕府の造営によるものが占める(増上寺については本章三節を参照)。この時期の建築的特色は、幕府の公儀普請による造営ということもあって、規模の壮大さや壮麗な装飾性といった豪華さの志向に求められる。例えば、台徳院霊廟惣門は据破風(すえはふ)を正面に設けた特異な外観を凝らし、旧方丈門も全体を黒漆塗りとし、唐獅子と牡丹をあしらった精緻な蟇股(かえるまた)彫刻が見られる。しかしながら、こうした江戸時代前期に見いだせる豪華さを誇る建築の特色は、次の江戸時代中期へ向かって変質していく。

図3-5-1-2 台徳院霊廟惣門

図3-5-1-3 増上寺旧方丈門