調査は、昭和三三年(一九五八)九月から三五年一月にかけて行われた。ここでは、将軍墓の典型的な形状と構造を持つ六代家宣墓を中心に見ていこう(図3-6-2-2a)。
明治一七年の境内図によれば、北廟は面積が一万一八七五坪余となっている。六代家宣と七代家継の廟墓の占有面積が等しいと仮定すると、それぞれの廟墓の面積は約五九〇〇坪で、秀忠廟墓に比べて若干広い。ただ、約一万一八七五坪の空間に家宣廟・家継廟の拝殿・本殿が作られ、三名の将軍と静寛院の墓に加え、一〇名の正・側室の墓が設けられたことを考えると、秀忠廟墓は規模の点において増上寺の中では突出していたといえる。
正徳二年(一七一二)一〇月一四日に五一歳で没した六代家宣の墓は、芝公園の台地上に構築された、石造階段二〇段余分の高まりの上に設えられた。その墓標は、銅製の宝塔であった。将軍墓の墓標は宝塔を原則としたが、秀忠墓の宝塔は木製で、三代将軍徳川家光以降は銅製となり、七代家継のとき石製に改められた。以後は、一四代に至るまで石造の宝塔が据えられた。
図3-6-2-2 六代家宣(文昭院)の墓(a)・同正室熈子(天英院)の墓(b)
鈴木尚・矢島恭介・山辺知行編『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』(東京大学出版会、1967)をもとに作成
宝塔を据えた墓の基壇は都合六段で構成され、基壇の中央に径九〇センチメートルの穴が開けられ、宝塔の塔身が埋め込まれていた。これにより、銅製の宝塔が安定していたのである。地表下には、まず長さ一・六メートル、幅一・〇五メートル、厚さ〇・四メートルの巨大な板石が一〇枚と約一メートル四方の板石が敷かれ、漆喰(しっくい)層を挟んで直下に石槨と石室が構築されている。石槨(せっかく)は間知石(けんちいし)で組まれ、縦横三メートル程と報告されている。石室は二・六メートル四方で、石槨と石室との間には木炭が充填されていた。石室を取り除くと漆喰層が現れ、漆喰を除去すると銅棺が出現した。銅棺は被蓋形に作られ、縦横・高さがいずれも約一・五メートルである。蓋は深さが九センチメートルで、裏に銘が見られた。銅棺の中に、木炭層で包まれた木棺が納められ、木棺内には朱が入れられていた。墓坑は六・六メートル四方の方形を呈し、地表からの深さは約三・六メートルで、墓坑の床には板石を敷き漆喰を固めて石室の基礎としていた。墓坑の壁面や床面は美しく磨かれていたと報告書に記されている。
遺体は、衣冠を着け、正装の状態で棺に納められ、笏、太刀二振、日時計、香道具など、副葬品は豊富であった。
また北廟には、将軍の正室側室の墓が造営された。これらは将軍に比して規模はだいぶ小振りとなっているものの、地下の埋葬施設を中心として構造の点では将軍墓との類似点を見ることができる。ここでは、六代家宣の室である熈子(ひろこ)(天英院(てんえいいん))の墓を見ておこう。
熈子は近衛基熈を父にもつ公家の出で、その墓は家宣墓の南に造営された。八角形の基壇の上に建てられた墓標は宝塔で、頂部に四葉座の花形をもち、屋根は八角となる。塔身は石製で円筒形を呈し、正面に扉が付けられ、中に無縫塔形の霊牌が納められる。基壇の下には台石が組まれ、その直下に切石と自然石で構築した基台が作られている。基台の下は厚さ九センチメートル程の漆喰層を介して石室が構築されていた。石室は約二メートル四方、高さが一・六五メートル程で、石室の床には長方形の板石が四枚敷き並べられているが、石が動かないように相欠きの技法で連接されていた。石室は間知石で組まれた石槨様の構築物で被われ、その隙間には自然礫が充填されている。棺は二重の方形木棺で、大きさは外棺が七五・七センチメートル四方、内棺が六〇・六センチメートル四方であった。副葬品は将軍に比べると少なく、厨子、香木、懐中袋、数珠などが報告されている。
最後に、和宮(静寛院(せいかんいん)宮)墓について触れておきたい。仁孝天皇の八皇女として生まれた和宮は、明治一〇年(一八七七)九月二日に数奇な人生に幕を閉じた。墓は、一四代家茂(昭徳院)墓の隣に造営された。墓標は代々将軍墓と同様に宝塔が用いられているが、七代将軍以来の石造ではなく銅製であった。規模は将軍墓に匹敵し、天皇の子女であることをうかがわせた。地下埋葬施設は、構造的には将軍墓に準ずるが、将軍墓に比べて部材の調整や構築に粗略化が見られたと報告書にある。何よりも他の墓と異なる点は、遺体が寝棺に納められていたことである。近世では座位あるいは胡座(あぐら)の状態で納棺されることが多いが、静寛院宮の遺骨の検出状況報告には左側臥位の伸展葬とあった。もっとも、報告書では膝の関節で約六〇度屈曲していたと読み取れることから、左側臥屈位の状態とみることもできる。ちなみに、明治四年に没し、神葬の手続きで埋葬された旧佐賀藩主鍋島直正(閑叟(かんそう))の納棺時の体位(髙山ほか 二〇〇〇)に近似しており、関連があるのかも知れない。