この発掘調査で出土した人骨は新潟県長岡市の栄凉寺に再埋葬されたが、その際に四代忠壽(ただなが)・五代忠周(ただちか)・六代忠敬(ただたか)・七代忠利(ただとし)・九代長子忠鎮(ただしず)・一〇代忠雅(ただまさ)の精密な頭骨模型が制作された。近年、これらの模型を用いて復顔研究がなされ、現在五代忠周・六代忠敬・七代忠利・九代長子忠鎮・一〇代忠雅の復顔が完成している。歴代藩主が骨から復顔された例は他に知られておらず、いわゆる殿様顔が一般の方々にもイメージしやすくなっている(図3-6-コラム-2)。
図3-6-コラム-2 歴代長岡藩主牧野家の頭骨と復顔
頭骨写真は港区教育委員会編『港区三田済海寺 長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書』(1986)から転載
復顔は5代・6代/戸坂明日香(写真提供:5代/坂上和弘)、7代/鈴木敏彦・波田野悠夏、9代長子・10代/川久保善智