近世人骨研究に港区が果たした役割

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 徳川将軍家墓所の調査に引き続き、昭和五七~五八年(一九八二~一九八三)、港区三田の済海寺(さいかいじ)長岡藩主牧野家墓所(前述)の改葬に伴う発掘調査が行われた(本章六節三項参照)。これは歴代藩主や正室の墓の構造や副葬品などの考古学的研究と、出土人骨を形態学的に検討した、人類学的研究の両方の成果を確認できた画期的なものである。この調査によって、歴代藩主・長子九体と正室五体の人骨が出土した。これらの人骨の人類学的調査報告は加藤らによってなされ(加藤ほか 一九八六)、頭骨には、徳川将軍家には及ばないが、面長の顔、高く隆起した鼻、華奢な下顎などの特徴が見られ、貴族的形質は七万四〇〇〇石の譜代大名である牧野家にも認められることが明らかになった。
 この発掘調査で出土した人骨は新潟県長岡市の栄凉寺に再埋葬されたが、その際に四代忠壽(ただなが)・五代忠周(ただちか)・六代忠敬(ただたか)・七代忠利(ただとし)・九代長子忠鎮(ただしず)・一〇代忠雅(ただまさ)の精密な頭骨模型が制作された。近年、これらの模型を用いて復顔研究がなされ、現在五代忠周・六代忠敬・七代忠利・九代長子忠鎮・一〇代忠雅の復顔が完成している。歴代藩主が骨から復顔された例は他に知られておらず、いわゆる殿様顔が一般の方々にもイメージしやすくなっている(図3-6-コラム-2)。

図3-6-コラム-2 歴代長岡藩主牧野家の頭骨と復顔
頭骨写真は港区教育委員会編『港区三田済海寺 長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書』(1986)から転載
復顔は5代・6代/戸坂明日香(写真提供:5代/坂上和弘)、7代/鈴木敏彦・波田野悠夏、9代長子・10代/川久保善智