町の形成

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 港区域の町人地は、地域によって異なる生業が営まれ、多様な特徴を有したが、町人地としての基本的な構造や仕組みは、港区域はもとより江戸全体で共通していた。
 町人地に居住する商人や職人は、通りを挟んで向かい合う町(ちょう)を形成した(図4-1-1-2)。これを両側町というが、地形条件などによっては、通りの片側のみの町もある。町は町人地における自治や支配の基礎単位である。

図4-1-1-2 町と町屋敷の概念図

玉井哲雄『江戸─失われた都市空間を読む』(平凡社、1986)
東京都歴史文化財団・東京都江戸東京博物館編
『江戸東京博物館常設展示図録[模型編]─模型で見る江戸東京』(2017)をもとに作成


 
 文政八~一一年(一八二五~一八二八)に作成された「町方書上(まちかたかきあげ)」は、幕府が江戸の地誌(「御府内風土記」)を編さんするための資料として、名主(なぬし)たちに提出させた「地誌御調(おしらべ)書上帳」を、地域ごとにまとめた記録である。江戸城の曲輪(くるわ)内に位置する日本橋地域や京橋・築地といった主要な町人地の分を欠くが、「町方書上」には、曲輪外の町々の基本情報が記されており、港区域に相当する分は、文政一〇~一一年に作成された。
 その「町方書上」によれば、港区域の町人地は二八一の町で構成された。内訳は表4-1-1-1のとおりで、東海道沿いの芝には最多の八二町が存在した。これは港区域の町数の約三割に相当する。一八世紀中頃以降の江戸の町人地は一六〇〇~一七〇〇ほどの町で構成されたので、港区域には江戸全体の一七パ-セント前後の町が存在したことになる。これらの一つひとつの町で、様々な生業を営む人々が日々の暮らしを送っていた。

表4-1-1-1 港区域の町人地の住民構成 文政10~11年(1827~1828)
『町方書上』五・六(江戸東京博物館友の会、2014)をもとに作成

注1)本表は『新修港区史』の表16「港区地域各町の住民構成」と『町方書上』を照合の上、適宜修正・調整を経た数値である。
注2)『新修港区史』では「地借家主」を地借とするが、本表では家主として計上。
注3)戸数の合計は計算値。史料上の合計値とは異なる。
注4)※渋谷広尾町は一部が港区域に属するが、大半が渋谷区に位置するため、本表には含めていない。