住民構成

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 町人地に住む人々は、家持(いえもち)(居付(いつき)地主)、家主(いえぬし)(家守(やもり)・大家(おおや))、地借(じかり)、店借(たながり)という階層に分けられる。家持は町屋敷(本章二節一項参照)を所持し同所に居住する者、家主は町屋敷を所持する地主からその管理を任された者、地借は町屋敷の一画を借りて店舗・家屋を自前で建てる者、店借は地主持ちの長屋に住む者(つまり土地も家屋も借りる者)である。
「町方書上」には各町の家持・家主・地借・店借の戸数が記されているが、表4-1-1-1はそれを「町方書上」の地域区分にしたがって集計したものである。青山の家持率が低いのは、拝領町屋敷の居付地主(武士)が含まれていないことによると考えられるなど(本章二節三項参照)、地域によって数値にばらつきはあるが、おおむね家持一割、店借七割ほどとみてよいであろう。住民の大半は店借であったことが知られる。
 港区域の町人地の総戸数は、「町方書上」では権田原(ごんだわら)と渋谷に属しているが、現在は港区に属する三町分の戸数を含めて二万三一八二戸である。ほかに、三三七戸の空き家(「明店(あきだな)」)や、家持として計上されていない拝領町屋敷(本章二節三項参照)の居付地主(武士)の分を考慮に入れると、実際にはもう少し多いこともあったとみられる。江戸の町人地には、単身者もいれば、複数世帯で召使いを抱える多人数の戸もあり、一戸の平均人数は町によって一様ではないが、多くは核家族である。『新修港区史』(一九七九)は、「町方書上」に基づく居住戸数に、天保一四年(一八四三)七月の江戸町人の平均世帯規模である三・八人、あるいは『東京地理志料』の四・三五人を乗じて、港区域の町人地人口を九~一〇万人とする推計値を出している。