町の運営は、町内の家持や家主(家守・大家)が担っていたことはよく知られているが、実際にどのように運営されていたのかというと、その実態はよくわかっていない。町を治める名主の家や、安定した営業を続ける商家の古文書は、現存することも少なくないが、家主による町運営の記録が現在まで伝わることは稀だからである。
そうしたなかにあって、港区域に存在した青山御手大工町(あおやまおてだいくまち)(現在の南青山二丁目)の「町記」 * は、家主たちによる町運営の実態を知ることができる貴重な史料である。これは、町運営に関する定例の務め方を記した「町記大帳」が焼失したため、文化一一年(一八一四)にまとめ直され、その後、明治一三年(一八八〇)まで書き継がれた帳面である。原本の所在は不明であるが、昭和一五年(一九四〇)の写本が港区立郷土歴史館に所蔵されている。以下では「町方書上」などで内容を補いながら、青山御手大工町を事例として具体的な町運営のあり方をみていく。