町入用節減令と町入用書上

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 老中松平定信による寛政改革の一環として、江戸では寛政三年(一七九一)に町入用の節減が命じられた。各町では、①地主の地代・店賃(たなちん)(家賃)収入、②町入用、③地主の手取金(①から②を差し引いた分)、を調査し、天明五年(一七八五)から寛政元年(一七八九)の五年間における年間平均額や、節減後の町入用の見積高を算出した。このときの節減分の七割を原資の一部にして、江戸町会所(まちかいしょ)が設立されたことはよく知られている。これ以降、各町は毎年一定額を七分積金(しちぶつみきん)として負担するようになり、町会所は窮民救済や低利金融の機能を果たした。
 町入用の内容は、このときに町奉行所に提出された書類、あるいは町の側に遺された控えや下書きなどから知ることができる。以下では、芝松本町(現在の芝三丁目)の「町入用掛高(かかりだか)書上」を取り上げる。