芝松本町の町入用

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「町入用掛高書上」は、明治二八~四一年(一八九五~一九〇八)に芝区長を務めた川崎実の下にあった記録(「芝区長川崎実本」)を、同三六年に東京市史編纂委員会の阿部愿が筆写したものである。原本の所在は不明であるが、阿部による写本は「阿部文書」として東京都公文書館に所蔵されている。
 
 芝松本町一丁目と同二丁目は、増上寺の南西にある赤羽橋を南に渡った場所に位置する町である(図4-1-3-1①②)。寛文七年(一六六七)に、一丁目は金杉橋南詰の⑤金杉通一丁目(現在の芝一~二丁目)から、二丁目は北詰の⑥浜松町四丁目(現在の浜松町二丁目、芝大門二丁目)から、それぞれ移転して成立した町で、一丁目の元地である金杉通一丁目の名主が松本伝蔵であったことから松本町と称された。

図4-1-3-1 芝松本町周辺図(上部が北)
上:「芝口南西久保愛宕下之図」(芝愛宕下絵図、部分)、
下:「芝三田二本榎高輪辺絵図」(芝高輪辺絵図、部分)
国立国会図書館デジタルコレクションから転載 一部加筆


 
 芝松本町一丁目の「町入用掛高書上」では、寛政三年六月に名主の清左衛門のほか、家持と考えられる「家附地主」二名と、「家守」二名が署名し、今後の町入用の年間見積額を計上した。その内容をまとめたものが表4-1-3-1である。費目は「定式(じょうしき)」と「臨時」に分けて記され、金額は費目に応じて金・銀・銭で示されているが、同表では費目の内容ごとに分類し、金額も銭に換算・統一した。

表4-1-3-1 芝松本町一丁目の町入用-寛政3年(1791)6月の見積り
「町入用掛高書上」(『東京市史稿』産業篇36、東京都、1992)をもとに作成

注1)金1両=銀60匁=銭5貫900文で換算。銭換算・指数計算は四捨五入。
注2)費目はすべて銭に換算。銭高の欄に「金」・「銀」とある費目は、史料では金・銀で表記されている。
注3)費目欄の「定」は定式入用、「臨」は臨時入用である。
注4)名主役料は史料では「役金」「役銭」、木戸は「〆切」と表記。
注5)合計の銭高は史料上の「以来取賄町入用壱ヶ年分惣懸り高」を銭換算したもの。計算値は指数欄の括弧内の銭高。


 
 表4-1-3-1を見ると、町入用の費目は、幕府に対する負担、古町(こちょう)としての負担(古町とは江戸で寛永期〈一六二四~一六四四〉までに成立した三〇〇余の町)、町役人にかかる諸経費、町火消の経費、町の維持・管理費、神仏・祭礼費に分類できる。
 幕府に対する負担には、公役(くやく)のほか、公用の人馬を負担する伝馬役(てんまやく)、職人の技術労働に由来する国役(くにやく)、当初は村であった町が負担する年貢などがある。寺社門前の町屋は寺社への負担を負うため、幕府への負担義務はない。江戸の町々による負担の実態は表4-1-3-2のとおりであり、町によって幕府への負担の種類は異なる。また、都市域の拡大により新たに町奉行支配に組み込まれた町には古町としての負担がないなど、いくつかの違いはあるが、おおよその費目のあり方は江戸の町々で共通している。

表4-1-3-2 幕府負担からみた江戸の町

髙山慶子「江戸の拡大と支配制度の変容-代官と町奉行の両支配をめぐって」
『史潮』新67(2010)から転載
出典:『安永三年小間附北方南方町鑑』(東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1990)

注1)縦は名主番組、横は諸負担。代地も1町として計上。
注2)その他の多くは寺社領の町・寺社門前であるが、様々な幕府の御役や上納金を負担する町、拝借地・助成地なども含む。負担の種類が不詳・不明確な分もその他に分類した。
注3)国役は「御国役御染物相勤申候」のように「国役」と明記されたものに限った。
注4)切地などにより1町で複数の役を負担している場合は小間の広い方を計上。
※網掛けは港区域の町を含む番組(加筆のうえ転載)。