表4-1-3-1を見ると、名主、書役(かきやく)、番人の人件費が大きな割合を占める。名主は住民の代表、書役は自身番屋に詰めて法令などを書き留める書記であり、番人は治安維持を担う。町の運営・維持を担う人々に、その役割への対価が町入用で支払われた。町が雇用する書役や番人に支払われる金銭は給金・賃銭であるが、名主の役料(役金)は役人としての性格を有する名主に町々から納められる金銭であり、給金・賃銭とは性格が異なる(髙山 二〇一九)。町が名主を雇用するのではなく、名主が町を治めるという関係であり、名主の権威的な一面がうかがえる。
町入用の費目は定式(じょうしき)入用と臨時入用で構成されているが、定式入用は早くから成立した経常費、臨時入用は町の機能の拡大にともなって設けられた経費であり、後年になるにつれて後者が増大した(伊藤 一九八五)。芝松本町一丁目では、町火消や町の維持・管理費に臨時入用が多く、これらの経費が増加傾向にあったと考えられる。
町入用は原則として町屋敷を所持する地主負担であると先に述べたが、慶応三年(一八六七)九月および明治三年(一八七〇)九月には、宇田川町(現在の東新橋二丁目、新橋六丁目、浜松町一丁目、芝大門一丁目)、芝口三丁目(現在の新橋三丁目)、芝七軒町(現在の芝大門一丁目)において、鎮守の祭礼にあたり、手拭い、提灯、行灯蠟燭(ろうそく)などの経費が、表店(おもてだな)の住民から、あるいは表店と裏店(うらだな)の住民から、軒別に徴収されたことが確認されている(伊藤 一九八五)。これらは町入用とは別会計とされているが、前項でみた青山六か町でも、諸入用の分担が家主の人数割とされ、青山御手大工町では「表小間」と「裏小間」が算出されるなど(「町記」)、地主負担とは異なる負担の割り掛け方法が確認される。
定式から臨時へ、町屋敷を所持する地主から町屋敷所持の有無を問わない住民へ、と負担のあり方は拡大、多様化したといえるが、町に必要な経費は町の人々が負担・運用するというあり方は、江戸時代を通して変わることはなかった。 (髙山慶子)