町と町屋敷

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 江戸の町人地を構成する一六〇〇余の町(ちょう)は、自治と支配の基礎単位であるが、それぞれの町は複数の町屋敷(まちやしき)で構成された(本章一節の図4-1-1-2参照)。町屋敷とは居宅・店舗や蔵が建つ敷地であり、通常の一筆の町屋敷は、通りに面した数間(けん)(五間前後)の間口に奥行き二〇間ほどの広さである。一間四方の面積が一坪(二畳)であり、間口五間で奥行き二〇間の町屋敷は一〇〇坪である。史料では、奥行き二〇間を「町並」と記すことがあるが、土地の形状によって間口も奥行きも一様ではない。
 江戸では京間(きょうま)と田舎間(いなかま)(江戸間(えどま))が使用された。京間一間は六尺五寸(約一・九七メ-トル)、田舎間一間は六尺(約一・八二メ-トル)である。城下町江戸の建設当初は京間が基準とされたが、しだいに田舎間が使用されるようになった。港区域の町人地においても、古町(寛永期〈一六二四~一六四四〉までに成立した町)では京間、後年に成立した町では田舎間の使用が確認される。なお、明治二四年(一八九一)制定の度量衡法で、一間は六尺、一尺は〇・三〇三〇三メ-トルとされた。田舎間の基準が採用されているが、それに従うと、間口五間、奥行き二〇間で一〇〇坪の町屋敷は、おおよそ間口九メ-トル、奥行き三六メ-トルで約三三〇平方メ-トルとなる。
 町屋敷のなかでも売買が許された土地を沽券地(こけんち)という。町屋敷の大半は沽券地であるが、江戸の建設当初からの草創(くさわけ)屋敷、下級武士などに与えられた拝領町屋敷などは売買が禁じられており、沽券地ではない。ただし、沽券図と呼ばれる絵図(次項参照)には、沽券地である町屋敷と合わせて、草創屋敷や拝領町屋敷も描かれている。