庶民の暮らし

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 店借層の庶民は自らが書き手となって記録を残すことは少なく、仮に何かを書き残したとしても、それが現在まで伝わることはほとんどない。そのため、店借の生活の様子を知る方法の一つとして、川柳や随筆などの文芸作品が活用されてきた。
 近世後期の川柳集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」には、「裏店の 壁には耳も 口もあり」、「井戸端へ 人の噂を 汲みに行き」という句がある。壁を共有する長屋では家族の会話が隣家に筒抜けになる、共同の上水井戸では住民同士が顔を合わせて噂話にふける、といった日常生活の様子が詠まれている。「店賃が 済んだか路地の たたきよう」「店中の 尻で大家は 餅をつき」の句では、店賃を無事に家主に納めた店子が、家主の管理する路地の木戸を叩いて開けてくれるよう頼む様子(店賃を滞納すると気が引けて頼めない)、および店子の排泄物を周辺農村の村人に売って(あるいは農作物と交換して)利益を得た家主が、そのお礼に店子に餅をふるまう様子が描かれ、家主と店子との関係性を読み取れる(興津 一九八九)。
 
 港区域では、こうした文芸作品ではなく、庶民の実態を知ることができる古文書や絵図が発見され、その解析が進められている。以下の各項では、港区域の特徴の一つである、寺社や武家屋敷の周辺に点在する町を取り上げ、そこで生きる庶民の実態を見ていく。二項では、人別帳や人別送の帳簿という江戸時代の戸籍(管理)台帳に相当する史料をもとに、神谷町と渋谷長谷寺門前・渋谷御掃除町の住民の特徴を解説する。三項では、旧幕府引継書として現在に伝わる「諸宗作事図帳」の中から大養寺門前の事例を取り上げ、表店と裏店の住民の具体像を描き出す。そして四項では、善福寺の境内図や町法などをもとに、善福寺の門前町に暮らす住民の日々の営みを明らかにする。これらの事例を通して、港区域の町人地に生きた人々の具体的な様相を明らかにする。  (髙山慶子)