本節では、いくつかの門前町(門前町屋)をとりあげてきた。最後に、麻布善福寺(元麻布一丁目)の門前町を事例に、門前町の運営をみていきたい。
門前町とは、寺社の境内に成立した町である。江戸の拡大や人口増加に伴ってその数が増え、延享二年(一七四五)には人別が町奉行所の支配に編入された(一章一節四項参照)。安永二~寛政一一年(一七七三~一七九九)に作成された「武江図説」(「江戸図説」)によれば、当時の江戸の一六六〇町のうち「四〇〇余丁」が「寺社門前分」とされ、そのうち三〇間以下の「小町」が「二百十有町」を占めたという。江戸の町の約四分の一が寺社門前町で、さらにその半数は小規模なものだったことになる。港区の場合も、「町方書上」(本章一節一項参照)によれば、二八一町のうち門前町は九二町で、約三分の一を占めた。
門前町屋では、寺社が境内の敷地の一部を町人に貸す形をとる。地主は寺社であるため、他の一般の町とは異なり、幕府に対する公役は賦課されない。寺社は、経営の一環として、敷地を借りる地借から地代を徴収した。さらに地借は、借りた敷地の内を店借に店貸しなどの形でさらに貸し、借料をとることがみられた。また、寺社は経済的な関係だけでなく、住民にとって領主という存在でもあった。