江戸は徳川将軍家の城下町であり、城下には将軍の家臣団である旗本・御家人だけではなく、全国の大名が参勤交代で江戸に集まった。膨大な武家人口の生活を支えるため、多くの商工業者が集まり、その商工業者を相手に営業を行う者も増加し、江戸では活発な経済活動が営まれた。
こうして江戸に集まった多種多様な商工業者を宣伝あるいは把握・統制するため、民間の版元が商工業者の名鑑を出版したり、地誌のなかで商工業者を取り上げたり、幕府が問屋や仲買の名簿を作成したりした。かつての『港区史』(一九六〇)や『新修港区史』(一九七九)は、こうした名鑑・名簿類や地誌から、港区域で営業を行った商工業者を抽出し、商工業の特徴を論じてきた。
『国花万葉記』は元禄一〇年(一六九七)に大坂で刊行された地誌である。山城国・武蔵国・摂津国をはじめとする、諸国の大名、商工業、神社仏閣、名所などがまとめられており、『港区史』では、全一四巻のうち武蔵国の第七巻に記された江戸の商工業に関する記述が取り上げられている。東海道沿いには、新橋(後の芝口橋)から金杉橋までの間では足袋・合羽の店や馬宿・飛脚宿・旅籠宿、金杉橋より南では牛宿、といった運輸や旅客向けの業者がみられ、芝神明宮(飯倉神明宮、現在の芝大神宮、芝大門一丁目 三章四節三項参照)周辺には本屋・紙屋・筆屋などの印刷・出版に関連する業者が確認される。汐留橋から桜田に至る外堀沿いには、米・野菜(八百屋)・酒・魚・薪という生活に必要な食料・燃料を扱う店や、檜物屋(ひものや)(檜の曲げ物を作り売る店)・紺屋・鍛冶・塗師などの職人が存在し、西久保の土器(かわらけ)なども書き上げられている。ここでは特徴的な業種のみを取り上げたが、『国花万葉記』には他にも多様な業種が見られる。元禄期(一六八八~一七〇四)の港区域は、金杉橋以北の東海道沿いと芝神明前が商工業の中心で、芝神明前では煙管(きせる)や「伽羅油(きゃらのあぶら)」(鬢付(びんづ)け油の一種)といった名物も生まれている。外堀沿いの桜田や、西久保にも、商人や職人が存在しており、当時はおもに外堀と古川に挟まれた地域で商工業が展開した。