港区域における東海道沿いの町人地は、三井家の芝口店のある芝口一丁目(現在の新橋一丁目)を起点として、高輪南町(現在の高輪四丁目)に至る。その先には、東海道の最初の宿場である品川宿(現在の東京都品川区)がある。明治五年(一八七二)、この海沿いの東海道のさらに東側の海手に、日本初の鉄道が新橋-横浜間に敷設された(図説六章六節参照)。鉄道の敷設は地元住民の生業に大きな影響をもたらすため、住民から水路の確保や助成金・手当金の支給などをめぐって様々な嘆願がなされた。
東京都公文書館に所蔵されている「鉄道一件」と題された簿冊には、明治四年の住民の嘆願書や役人による調査書などが綴り込まれている。そこには、当事者たちの目線で江戸時代以来の生業のありようを述べた箇所が随所に見られる。本項ではそれらの記述を通して、海辺の生業の実態を見ていく。