無数無名の小店

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 芝口の蟹屋、芝神明前の花露屋、芝田町の堺屋という有名店に対して、表4-4-4-1のそれら以外の三二店は『江戸買物独案内』には掲載されていない店である。掲載されていないことが必ずしも無名、零細であることを意味するわけではないが、そのような店が含まれていることは間違いないであろう。
 三二店の多くは飲食関係の店であり、茶、甘露煮、座禅豆(黒大豆を甘く煮染めたもの)、砂糖、菓子、寿司、茶店、太々餅(だいだいもち)、金平(米)糖、氷砂糖、砂糖漬、唐饅頭、福寿飴、水飴、たんごもち(団子餅)、餅菓子、泡盛、焼酎、唐豆腐など、多様な店が確認される。たんごもち(団子餅)に名代(なだい)(名高い)とあるが、太々餅も芝神明宮の名物として知られている。
 飲食関係以外では、先に見た「反魂丹」の堺屋長兵衛のほか、芝二葉町(現在の新橋一丁目 本章二節二項参照)の薬種砂糖所である松屋由兵衛、芝口三丁目(現在の新橋三丁目)の薬製所の長嶋幸太郎、「五色午牡丹」(牡丹の根皮は薬として煎服される)を取り扱う芝田町七丁目(現在の三田三丁目)の南部屋善吉、赤坂田町三丁目(現在の赤坂三丁目)で消毒散を商う大坂屋金蔵という、薬種関係の店が見られる。芝口三丁目には耳治療の専門医の近藤為三郎もいる。芝宇田川町(現在の東新橋二丁目・新橋六丁目・浜松町一丁目・芝大門一丁目)には四ツ目屋長蔵が店を構えるが、四ツ目屋と言えば両国の米沢町二丁目(現在の東京都中央区東日本橋)にあった秘具・秘薬の専門店が知られている(母袋 一九八三)。長蔵の四ツ目屋も同類の店と推定される。
『江戸買物独案内』に掲載されなくとも、庶民が親しみ愛した店は少なくない。それぞれの店は商標や引札といった簡易な方法で店の情報を発信していた。落語家の手元に残ったのは盛り場として知られる芝神明前のものが多かったが、芝口、田町、車町、西久保、赤坂、飯倉、三田、白金でも庶民の店が営業していたことを、商標や引札が伝えている。庶民の世界にはこうした小営業の店舗が無数に存在したのである。