町屋跡遺跡からは、例えば江戸時代の最高級磁器である鍋島焼のような、およそ町人地にふさわしくない製品が出土することがある。ここでは麻布龍土町町屋跡遺跡の例から、この背景について考えてみよう(パスコ編 二〇一四)。
麻布龍土町(現在の六本木七丁目)は、北東側を走る道敷を挟んで長州藩毛利家の麻布屋敷(二章一節三項参照)と相対している町人地である。その跡地の発掘調査で、陶器と動物遺体の中から町人地らしからぬ遺物が発見された。墨書をもつ陶器と高級食材の残りかすである。
江戸時代、食器などに、所有者や使用場所、稀に購入時期や価格が墨書されることがある。多くは高台内に釉薬(ゆうやく)がかからない陶器や土器類で、麻布龍土町町屋跡遺跡では「代四十文」と書かれた土器の火鉢など三〇点を超える墨書をもつ資料が出土しているが、この中に「中御門」「大番所」と書かれた陶器が含まれていた。いかにも大名屋敷の建物や部屋、あるいは組織を表している。また、動物遺体にはツル類やアンコウ類の骨が含まれていたが、およそ町屋には似つかわしくない高級食材の残滓と考えられている。これらの遺物は盛土層ではなく土坑から出土しており、正面の長州藩江戸屋敷からごみとして持ち込まれ、捨てられた可能性が高い。他にも長州藩、あるいは領内とのつながりの強い製品が見られ、この町屋の空き地が長州藩江戸屋敷のごみ捨て場として利用されていたことは間違いない。
町屋跡遺跡から出土する町人地に相応しくないこうした製品は、大名屋敷以外の武家屋敷からもたらされたこともあったであろう。寺社や、より経済力のある町家から出たごみの可能性もある。しかし出所がどうであれ、町人地の空閑地に他所からごみが捨てられることは日常茶飯のことであったかもしれない。こうしたごみ投棄が町屋居住者にどれほどの影響を及ぼしたかははかりかねるが、町人地利用の在り方を具体的に知ることのできる一例である。