遺構・遺物でみる暮らしの断片

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 これまで土地や地面に関わるトピックから町屋跡遺跡をみてきた。次に、遺構・遺物から町屋での暮らしの断片を見てみよう。
 芝田町五丁目町屋跡・丹波亀山藩松平家屋敷跡遺跡では、一七世紀中葉から一八世紀前葉の建物跡と考えられる遺構の近くで人骨が出土した。人骨は共に乳児で、うち一体は桶に納められ、六道銭とみられる寛永通宝を伴っていることから、明らかにこの地に埋葬されたものである。一方、出産に関わる遺構・遺物の発見例は比較的多い。後産処理に関わる遺構で、胞衣(えな)(胎児を包んでいる膜・胎盤・臍帯の総称)を納めた口径二〇センチメートル前後の二枚の土器皿を、合せ口の状態で土中に埋めたものである。ちなみに瀬戸・美濃製の陶器の徳利を伴うことがあるが、これは乳の出をよくする呪(まじな)いとも考えられている。
 子どもに関わる器物として、麻布龍土町町屋跡遺跡出土の迷子札に触れておこう。この資料は、長径三・七センチメートル、短径五・九センチメートルの小判形をした金属板で、上の方に穴が開けられており、片面に毛彫りによる羊が描かれ、片面に「麻布龍土町 清水屋善蔵倅 舛吉」と線刻されている。舛吉が首から下げて外出などをしていたのであろう。
 港区内の町屋跡遺跡で出土する生活用具の類を総観すると、既述のような高級品や茶器などの多少日常性の薄い器物を除くと顕著な差異は見られない。強いて挙げれば、巨大なごみ穴が検出されない限り居住空間からの遺物の出土量は武家屋敷跡に比べると相対的に少ない。なお、町屋跡遺跡出土遺物の全てが、当該の町人あるいは町人地に由来する遺物とは限らず、この点が、出土遺物から町人の生活実態を再現することをいささか困難にしていると思われる。  (髙山優)