また、三章四節五項で述べたように、港区域にも稲荷社が多いことで知られる。稲荷はときに流行神(はやりがみ)化することもあり、麻布笄橋(こうがいばし)(現在の西麻布四丁目周辺)の大番杉田五郎三郎の屋敷内にある杉田稲荷は、寛政八年(一七九六)秋頃、霊験あらたかで諸願成就すること疑いなしという評判がにわかに立ち、多くの人々が押し寄せたという(『藤岡屋日記』)。
一八世紀になると、江戸では寺社を巡るル-トが登場する。その代表例が五不動、六阿弥陀、六地蔵、七福神や、札所の写などであろう。日帰りで巡れるものや、数か所ずつ何度かに分けて巡るものもあり、ことに札所の写として設定されているものなどは、遠路数か月を要する札所巡礼に比して効率よく巡れるため人気があった。これらは江戸の人々の信仰表現の一端であるとともに、都市生活者である彼らに束の間の気晴らしをもたらす要素や、知的好奇心を満たす要素なども含んでいた。
『東都歳事記』にはこうした巡拝コ-スが多数紹介されている。港区域を含む代表的なものをまとめたのが、表5-3-1-1である。このうち、享保二〇年(一七三五)にはその存在が確認できる「江戸三十三所観音参」に赤坂清厳寺(せいがんじ)など一四の寺院が含まれているのをはじめ、「西方三十三所観音札所参」はすべてが港区域に該当し、「江戸南方四十八所地蔵尊参」も大部分を占めている。また、この表に挙げたもの以外にも、「山の手三十三所観音参」には赤坂の龍泉寺、清厳寺、淨土寺(じょうどじ)が、「近世江戸三十三所観音参」に青山教学院、三田魚藍寺(ぎょらんじ)が含まれている。
表5-3-1-1 港区域の寺院における代表的な巡拝箇所
これらからわかるのは、赤坂、麻布、愛宕下、白金、三田という江戸の南西部の寺院を人々が重層的に行き交っていたことである。そしてそのなかには、年中行事で特定の日に賑わう寺社や、後述するような様々な興行が行われるなど、娯楽要素の濃厚な盛り場と化した寺社が展開していたのである。
天保五・七年(一八三四・一八三六)に刊行された『江戸名所図会』に紹介されている名所の大半は寺社であり、港区域も多く取り上げられている。その一方で、安政三年(一八五六)二月から同五年一〇月にかけて出版された全一一九図におよぶ歌川広重の「名所江戸百景」シリ-ズにも、「芝愛宕山」「広尾ふる川」「赤坂桐畑」「赤坂桐畑雨中夕けい」(ただし、これのみ二代目広重画)「増上寺塔赤羽根」「芝神明増上寺」「金杉橋芝浦」「高輪うしまち」「月の岬」「紀乃国坂赤坂溜池遠景」「愛宕下薮小路」「虎の門外あふひ坂」の計一二図が収録されていて、景観に優れた名所も少なくないことがわかる。