花見と名勝

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 戯作者岡山鳥が著した『江戸名所花暦』は文政一〇 年(一八二七)に刊行され、江戸における四季遊覧の名所を春、夏、秋、冬の四巻に分けて紹介した書である。単なる花の名所紹介にとどまらず、江戸の行楽案内というべき書であり、『江戸遊覧花暦』の別称がある。港区域も紹介されており、以下に紹介しておきたい。
 まず、梅の名所として紹介されているのが、増上寺地中松林院内に安置されている茅野天神である。天神信仰は梅との関係性が深く、同所でも多くの梅が咲いていた。また、麻布三鈷(さんこ)坂(白金の三光坂)の宇米茶屋(うめがちゃや)では一重の梅が咲くことで知られ、他よりも遅い正月下旬が見頃だといい、麻布龍土(りゅうど)町(現在の六本木七丁目)の先手鉄炮組の組屋敷では、家ごとの入口や後園に梅が植えられていた。
 花といえば桜も忘れてはならない。増上寺境内のうち、芝切通より赤羽橋方向に向かう道の左右に桜が多く植えてあるといい、他に彼岸桜の名所が二か所紹介されている。その一つは麻布広尾(現在の南麻布五丁目)の備中足守(あしもり)藩木下家上屋敷内のもので、幹の太さは二抱え半、南北に二一間一尺(三八メ-トル)余り、東西に一九間(三四メ-トル)余りの大木があった。この彼岸桜は以前は花の頃に見物が許されていたが、いつの頃か禁止となったとしている。これなどは大名や旗本が日を定めて屋敷内の神仏を一般に公開したのと同様の展開といえよう。また、もう一つは麻布新堀端の光林寺(南麻布四丁目)で、境内に彼岸桜の大樹があって、枝垂れる枝は地に着き滝の落ちるかのようだとしている。この周囲を「広尾の原」と呼び、桜の頃は貴賤の別なく花見客が多く訪れた。
 蓮については溜池が名所であり、夏場は赤坂御門外から溜池まで、水面一面が花葉で覆われていた。他には増上寺の弁天池が蓮の名所だった。なお、増上寺が青葉の時期を迎える頃盛りとなるのが郭公(ほととぎす)で、芝切通し(切通坂 虎ノ門三丁目と芝公園三丁目の間)の上にある幸稲荷(さいわいいなり)社の辺りがその名所となっていた。
 ところで、港区域は坂が多く、風光明媚な場所も多かったため、月見や雪見の名所があることも特徴であった。『江戸名所花暦』では月見に高輪を取り上げている。高輪の台地上から海を見晴らす月の出は、いつ見てもよいとし、特に七月二六日の夜は雅俗入り交じり月の出待ちをすると述べている(本章二節一項参照)。この点では聖(ひじり)坂から伊皿子(いさらご)坂にかけての一帯(現在の三田四丁目周辺)が「月の岬」と言われていたことに対応している。また、その高輪近辺の海岸の酒楼から海上を望む粉雪の舞う様子は、他に比べるものがないとしている。そして愛宕山でも山上から雪景色を見下ろすと、各藩の大名屋敷が綿で作った家屋のように見えると述べている。
 ちなみに、景観にすぐれた場所としては、慶応二年(一八六六)刊行の『江戸方角名所杖(えどほうがくめいしょづえ)』に江戸見坂(虎ノ門二~四丁目周辺)が紹介されている。この坂からの眺望は江戸中の勝地を眼下に見下ろし、「冬の雪、月の夜絶景いはん方なし」と述べているほか、愛宕山からの眺望にも言及し、芝浦の帰帆が夕陽に映じるさまや江戸市中を眼下に見渡すことができる「江戸中に冠たる勝地なり」としているのである。