『願懸重宝記』にみる江戸の庶民信仰

260 ~ 261 / 378ページ
 江戸社会では、医療が発展途上にあることと、現世利益を求める志向が強いこともあり、様々な俗信に基づいた願掛けが普及していた。文化一一年(一八一四)に刊行された万寿亭正二『江戸神仏 願懸重宝記(がんかけちょうほうき)』には、江戸の代表的な願掛け方法三一例が紹介されている。
 ここに収録されている内容は京橋の北側の欄干の真ん中にある擬宝珠(ぎぼし)に荒縄を掛け、頭痛の願掛けをするとか、市ヶ谷八幡境内の茶の木稲荷に願を掛け七日間煎茶を断つなど多様であるが、なかには王子権現(現在の王子神社)の願掛け道具の盗難除けの槍が七月一三日の祭礼の日に限定しているなど、特定の日に限定しているものもあった。いずれにせよ、これらの願掛けの大半が何らかのアイテムを用い、願いが叶うと何らかのものを供えるというスタイルをとっているのが大きな特徴といえる。また願掛け対象については寺社の境内小祠が多く、流行神との関連性も指摘できる。
 このうち港区域内には四件が収録されている。まず飯倉町の善長寺(東麻布一丁目)では虫歯、口中の病に効果があるとして、「口中おさんの方」が紹介されている。これは本堂で楊枝を借り受けて朝夕に「おさんの方」と念じながら痛い部分を撫でると、たちどころに治癒するのだという。そして無事治癒の際には、改めて楊枝を納めることとしている。ここでいう「おさんの方」とは、備後福山藩主水野勝成の正室(三村家親娘、良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼)のことで、江戸時代初期、善長寺の住職実誉が諸国修行の途上で福山に滞在中、歯痛にみまわれ、同地で歯の神として知られていた「おさんの方」へ祈願し治癒したことにちなみ、のちに善長寺境内に祀ったものだという。
 また、白金三鈷坂(さんこざか)(三光坂)下の遊行寺(ゆぎょうじ)(松秀寺、白金二丁目)と日本橋西河岸町(現在の東京都中央区八重洲、日本橋)にある日限地蔵(ひぎりじぞう)では、それぞれ諸願に効力があるとしていて、「何日までに叶いますように」と念じれば、願いが叶うとしているが、願掛け道具に関する決まりごとは特にないようである。
 一方、寺社以外に願掛けの場所を設定しているところもある。それは芝牛(うし)町(車町、現在の高輪二丁目)大木戸の鉄というもので、道々に落ちている古い雪駄(せった)の踵(かかと)の部分に使われる尻鉄(しりかね)といわれる金具を拾い、これを大木戸に挟んで願掛けをすると叶うのだという。また、赤坂葵坂(虎ノ門二丁目)上の大榎の根元に向かって白山権現と念じ、虫歯治癒の願掛けをすると効果があると、地元では言い伝えられているという。ここでは無事に治癒した際には、柳の楊枝を木の根に供えることとしている。