開帳とは、寺社に安置される秘仏を期間を限って公開することで、建物の維持、修復、再建費用捻出のための助成として、寺社奉行所の許可を得て行われるものをいう。
開帳はその寺社自らの秘仏を公開する居開帳(いがいちょう)と、遠方の寺社が他所の寺社を借用して秘仏を公開する出開帳(でがいちょう)とに大別できる。幕府は開帳に一定の基準を設けていて、三三年に一度の割合で許可される順年開帳を基本とし、この他にも将軍、将軍世嗣や輪王寺宮などが参詣した際に許可される御成後(おなりあと)開帳や、災害復興支援などの名目で臨時的に行われる開帳があり、これ以外にも実際にはいろいろと理由をつけて興行の許可を得る場合が少なくなかった。
江戸時代における幕府の寺社への助成策としては、拝領金、拝借金、御免勧化、相対勧化、御免富、名目金貸付などが代表的なものとして挙げられるが(前項参照)、幕府財政の傾き始めた一七世紀末頃には直接的な公金を用いる拝領金、拝借金に代ってこの開帳が重要な機能を果たしていくようになる。開帳は幕府の許認可を得て行われるものであるため、幕府としては財政に直接的な影響を及ぼすことなく公儀の恩恵を示すことができ、寺社側としても経営的な助成のみならず、新たな信者獲得や教線拡大につながる期待が持てるものとして歓迎されたのである。
開帳の主な収益は①賽銭収入、②守札や、寺社の由緒を簡略に記載した摺物である略縁起などの販売、③奉納物、奉納金の三つに大別できる。このうち①および②は参詣者が多いほど多額の収益が見込まれる性格があり、それゆえに興行は集客力のある寺社が選ばれる傾向にあった。そのため、境内や門前が盛り場として賑わう両国の回向院や深川の富岡八幡宮、芝神明宮、湯島天満宮、浅草寺、護国寺、茅場町薬師(智泉院)、蔵前八幡宮(現在の蔵前神社)、市ヶ谷八幡宮(現在の市谷亀岡八幡宮)、愛宕権現社(別当円福寺)などは出開帳の受け入れ場所として人気があった。ただ、実際には開帳は参詣者の投じる賽銭に大きく依存していたため、興行の成功は天候に左右されやすかったようである。
また、③の奉納に関しては、奉納金以外に提灯(ちょうちん)や幟(のぼり)などを奉納することも多く、一九世紀になると、趣向を凝らした造り物を奉納する事例が増加した。開帳に合わせて奉納されたさまざまなものを絵入りで速報的に紹介した「開帳奉納番附」が出されることでも明らかなように、奉納物を見物することも開帳の重要な要素になっていったのである(滝口 二〇一八)。