徳川政権のもと、二六〇年あまりの平和な時代が到来すると、政治、経済、文化の面で文字の使用が広がり、文字社会が成立した。文字文化の浸透により、全国的に識字能力が向上したということは言えるであろう。一方で、義務教育が制度化される以前、統一的な達成目標も設定されていないなかで、求められた識字能力、また資質や教養はまちまちであった。つまり、近世社会を規定した身分制秩序のもと、身分、家格、居住地、所属する社会集団、生業、性差などの諸環境のもと、必要に応じた識字能力をさまざまな学習機会を通じて身に付けていったのである。
江戸に所在した教育機関は、幕府の昌平坂学問所(昌平黌(しょうへいこう))を筆頭に、大名家が設立した藩校、高度な教養や専門的な知識・技術を教授した私塾、職業や実用に供する基礎的な読み書きや計算能力、生活に必要な知識や躾を身につけることを目的とした手習塾というように大きく分けることができる。
なお、寺子屋(寺小屋)は寺院等で行われる慈恵的な教育、手習塾は経営的要素の強い塾と使い分けることが多いが、ここでは「手習塾」に統一する。