6-1 コラムA 発掘された第一、第五台場

336 ~ 339 / 378ページ
 平成一〇年代に入り、兵庫、大阪、福井、鳥取、山口、長崎の台場が発掘調査され、その成果に基づき国史跡に指定される事例が増加している。東京とその近郊では、「品川台場」(内海台場)のほか、横浜市の地域史跡である「神奈川台場」も調査が進んでいる。
 内海台場の発掘調査としては、平成三年から一一年(一九九一~一九九九)にかけて断続的に行われた港区港南五丁目および品川区東品川五丁目に位置する第一台場〔品川台場(第一)遺跡 No.62-3〕と、平成二三(二〇一一)、同二四年、同二六年に行われた港南五丁目の第五台場〔品川台場(第五)遺跡 No.62-4〕が該当する。第一台場と第五台場の発掘調査は、文献史料で解明されていた同台場の基礎構造を実証しただけでなく、当時の海面下と内部構造の実態を考古学的調査で解明した事例として注目されている。
 両台場は、東京港整備の一環で、昭和二四年から三八年(一九四九~一九六三)に行われた品川埠頭の造成工事により埋没した。この当時、御台場の全体構造のうち埠頭造成で埋没した部分の構造物については、破壊されずに残されていたことが当時の写真から判明していた。
 平成三年(一九九一)、港区教育委員会は、撤去の過程を撮影した写真や当時の航空写真などから、第一台場所在推定地で発掘調査を行い、想定どおり基礎構造が良好な状態で残存している事を確認した(港区教育委員会編 一九九九)。その後、臨海副都心線(りんかい線)の建設工事に伴い、再び港区教育委員会によって平成九~一一年(一九九七~一九九九)にかけて三度調査が行われ、台場の基礎構造が文献史料の記述どおりであることを実証した(図6-1-コラムA-1、図6-1-コラムA-2)。

図6-1-コラムA-1 第一台場基礎(石垣石裏込め および土台)検出状況 平成11年

図6-1-コラムA-2 第一台場基礎(枕木・胴木)検出状況 平成11年


 
 その後、品川埠頭を所管する東京都港湾局が港湾整備を進めるなか、港湾労働者品川総合休憩所の新築工事や、埠頭の整備・再編と大規模地震への対策といった港湾整備に先駆け、平成二三年(二〇一一)から第五台場の発掘調査が行われた。まず、港区教育委員会が同年一一月に試掘調査を実施し、その後東京都埋蔵文化財センタ-が翌二四年、二六年に大規模な本調査を実施した(東京都埋蔵文化財センタ-編 二〇一四、 二〇一五)。
 港湾労働者品川総合休憩所の新築工事に伴う平成二四年二月から三月の調査では、台場内部の一文字堤や屯所の一部、下水溝などが発見された(図6-1-コラムA-3)。第一台場の発掘調査ではできていなかった台場内部の初調査となり、多くの近世遺構が出土している。
 同年一〇月から翌年三月の調査では、石垣と裏込め、石垣外周部を対象とし、北東側で約二四メ-トルにおよぶ土丹岩の集積層が出土した(図6-1-コラムA-4)。この調査により、満潮面上まで土丹岩を積み上げて海水の侵入を遮断したと推定していた普請時の工法が明らかになりつつある。
 平成二六年六月から八月の調査は、石垣と土塁などの遺構調査であった(図6-1-コラムA-5)。南東側の土塁では、台場普請時の構成面と品川埠頭造成時の構成面が併存していたことが確認できたため、土層の剥ぎ取り標本が作製された。
 

図6-1-コラムA-3 第五台場内部調査(北から)平成24年2月~3月
東京都埋蔵文化財センタ-編『品川台場(第五)遺跡』(東京都埋蔵文化財センタ-調査報告第290集、2014)から転載

図6-1-コラムA-4 第五台場北東側調査(西から)平成24年10月~翌25年3月
東京都埋蔵文化財センタ-編『品川台場(第五)遺跡』(東京都埋蔵文化財センタ-調査報告第290集、2014)から転載

図6-1-コラムA-5 第五台場南東側調査(南西から)平成26年6月~8月
東京都埋蔵文化財センタ-編『品川台場(第五)遺跡2』(東京都埋蔵文化財センタ-調査報告第301集、2015)から転載


 
 このようにして進められた発掘調査では、文献史料の記述を裏付けながら、文献では確認できていなかった知られざる工法をも明らかにしつつあるのである。  (冨川武史)