図6-2-4-1 高輪接遇所
三代歌川広重「東京名勝尽くし、高輪の応接所」明治初年 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
高輪接遇所は慶応二年(一八六六)三月に一応の落成を見た。五月一日、イギリス公使館の医官ウィリアム・ウィリスは「私たちは遂に快適な家に住むことができるようになりました。遂に仮のイギリス公使館に入居したのです。私たち全員を収容して十分余裕のある住まいです。この点で寺院とは非常に違います」(大山訳 二〇〇三)と手紙に書いている。もっともイギリス側は建物の改修を要求したようで、実際にパ-クスが公使館を江戸に移転するのは慶応二年(一八六六)九月から一〇月にかけてのことになった。
一方、慶応元年八月頃、オランダも長応寺の利用のありかたについて幕府と協議を行っている。当初は他所への移転も検討されたが、結果的に長応寺に増築して公館としての機能を増強させる方向で落ち着き、工事は慶応二年七月に完成を見た。なお、この工事の費用については、幕府側がいったん全額を負担し、その経費をオランダ側が毎年一〇分の一ずつ、一〇年にわたって支払うとしており(『続通信全覧』)、外国公館をめぐる費用負担のありかたが判明する。
いずれにせよ、慶応元年半ばころから外国側は江戸の外国公館の増強を企て、慶応二年にはそれが果たされることになる。外国公館の拡充は、この時期以降江戸に外国人が多く来訪する前提となった。