本書が対象とする時代

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 『港区史 通史編 近代』(以下近代編)では、「近代」の港区域をとりあげる。
 本編の扱う「近代」の範囲は、明治維新からアジア・太平洋戦争の終結まで、より詳しくいえば、慶応三年から四年(一八六七~一八六八)にかけての大政奉還、王政復古による江戸時代の終焉と、明治新政府の成立を始点に、昭和二〇年(一九四五)八月一五日、ポツダム宣言の受諾を明らかにする昭和天皇の玉音放送によって連合国側との戦闘が日本本土内で停止された時点をおおよその終点とする。
 そもそも区史の記述対象とする地理的な領域としての「港区」は、近代の行政単位としての「区」に由来している。徳川政権から明治新政府への権力移行による行政機構の変化により、武家地・寺社地・町人地という近世の土地区分によってではなく、芝区・麻布区・赤坂区という地理上の一定の区画内が、一律な行政の対象地域として把握されていく過程に着目すると、近世の統治機構が近代的なそれへと移行していく原因となった権力移行が起こった時点から記述するのが適切であろう。それ以前の芝区域、麻布区域、赤坂区域は、それぞれその区域としての自意識やまとまりを、とくに有してはいなかったのである。その一方で、港区域は、土地利用、教育、経済、文化など、あらゆる側面において、近世から連続して把握されるべきことが多いのも当然であり、必要に応じて、幕末やそれ以前にも言及し、近世編と重複する部分があることは、いうまでもない。
 また、終点については、本来、芝区・麻布区・赤坂区の合併によって「港区」が成立し、地方自治法の施行によって、戦後の新たな地方自治制度が歩み出す昭和二二年を境界とするのが始点との関係でも一貫しており明確に思われるかもしれない。しかし当時の日本は連合国側による占領下に置かれており、戦後の地方自治制度の成立自体が一連の占領政策のなかで実施されたものであることを勘案すると、港区成立以前の占領期を一連の流れとして現代編で記述していくほうが便宜である。そのため、国内における戦闘行為が終了した時点を実際上の区分としている。もちろん、これについても、必要な範囲で、それを越える場合があり、現代編との重なりを有する部分がある。
 この区分は、過去に刊行された旧『港区史』下巻第五編近代、『新修港区史』第六章近代を受け継ぐものである(旧『港区史』は近代の終点を港区の誕生までと明記しているが、実態としては本書と同様である)。