過去に刊行された区史としては、港区が成立する前に昭和一三年(一九三八)刊の『芝区誌』、昭和一六年刊の『麻布区史』および『赤坂区史』がある。
これら三区史は、アジア・太平洋戦争によって失われたと考えられる行政資料やそれに基づくと思われる統計資料を用いており、また戦災によって失われた区域内の風景や区民の生活を丁寧に記録している。大正末期以降、徐々に行政の一端を担うようになる町会などの姿を詳細に記録している点においても極めて貴重な内容を含んでいる。
その記述形式をみると、『芝区誌』は明治以降を「現代」として主題別に一八章に区分して記述する。『麻布区史』は、明治以前の通史の章立てが簡略で、明治以降が主題別に一四章に区分されている。『赤坂区史』は時代区分を設けず、全時代を通した主題別に一七章に区分しており、財政、教育をはじめとした主題のいくつかは、江戸時代と明治以降を連続的に記述している点に特徴がある。
昭和二二年の港区成立以降では、昭和三五年に港区誕生一〇周年記念事業として旧『港区史』が、昭和五四年には港区誕生三〇周年記念事業として『新修港区史』が刊行された。
旧『港区史』は、近代全体を主題ごとに一九章に分けて記述する構成となっている。行政作用の体系的かつきめの細かい記述となっており、例えば「土木」の章は、都市計画、道路・河川・橋梁・土地区画整理・公園と、主題で節が分かれる一方、「建築」の章は、武家屋敷整理、初期の洋風建築、明治時代の邸宅、住宅緩和策、太平洋戦争前の建築物、戦時中の建築政策といったように時系列の区分がなされている。個別の主題では、詳細にわたる記述がなされる一方で、全体としての時系列での変遷が把握しにくい構成となっていた。
『新修港区史』ではこの点に配慮して、近代を明治前期、明治後期、大正期、震災復興、戦時下に分け、行政的な視点からの主題による分類ではなく、時系列による掘り下げを重視した構成として編まれている。したがって区の近代を一つの流れとして把握できる反面、その流れのなかでは描きにくい個別の事情は簡易な記述に留まり、省略されている箇所が少なくない。そのなかで、産業経済に関する記述は、全般にわたって厚く、旧『港区史』では詳細に触れられた行政的施策への言及は極めて簡略または省略されており、衛生や消防・警察、宗教などはほとんど言及がない。
今回、新区史を編さんするにあたり、近代編では、旧『港区史』と『新修港区史』の良さを生かしながら、欠点を補う方策として、時系列とテーマ別の区分を併用することとした。すなわち、「明治前期」、「明治後期」、「戦間期」、「戦時体制」の四つの時代区分の章に「文化と文化財」を加えた五章立てとし、前四章のそれぞれのなかを、土地利用、政治・行政、教育、経済、衛生・社会事業・公安、宗教、軍事・兵事と主題によって区分し、時代状況によって節の分け方に若干の変化をつけた。それぞれの分野における最新の研究動向を反映しながら、全体としても時系列で近代の流れを把握できるようにすることを意識したものである。
なお、「明治後期」は明治二二年(一八八九)の市制・町村制の施行以後を記述対象としている。
また「戦間期」という語は、厳密には第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発、すなわち大正八年(一九一九)から昭和一四年(一九三九)の二〇年間を指すが、本書においては『新修港区史』における「大正期」と「震災復興」の区分を都合し、大正一二年(一九二三)の関東大震災をまたいで、大正期から震災復興期を連続的に記述する意図で使用している。
「戦時体制」は、昭和一二年(一九三七)の日中戦争勃発、翌一三年の国家総動員法公布以降の総力戦体制下について記述する。
いずれも厳密には区分しきれない分野があり、おおよその目安と捉えて頂きたい。