近代史研究の各分野における新資料の発掘や、行政文書、私文書の公開は急速に進んでおり、実証研究の深化はめざましいものがある。新聞や雑誌の収蔵状況も広く共有されて閲覧も容易になり、データベースなどの検索手段の発達も飛躍的に進んだ。明治以降に発足した組織や機関、例えば学校や教会などが、続々と発足一〇〇年、早いところは一五〇年を迎えつつあり、年史などの編さんが進んだことも研究の進展を大いに助けている。本区史では、旧『港区史』『新修港区史』の頃には知られていなかったこれら多くの資料を利用した、学界における研究成果を盛り込んだ。
また、本区史編さんにあたり港区を通じて行った区内各町会の資料調査によって、新たに確認された資料が松坂町会資料(同町会所蔵)である。この資料では戦間期から戦時中にかけての町会の規約や事業の変遷を追うことができる(三・四章二節三項参照)。近年区へ寄贈された本村町会資料(港区立郷土歴史館所蔵)も、重要な資料群である。この資料には、近世と近代の接続の実態がわかる文書類および震災後、とくに戦時下の町会の帳簿が残されている(一・二章二節三項、四章三節一項、四章四節三項参照)。関東大震災、空襲、そして高度成長期や近年の大規模開発の波を越えて、これら町会の実態を示す資料が受け継がれてきたことは、近代編の執筆にあたって大変幸運なことであった。
現在一般の閲覧には供していない港区役所所蔵文書にもわずかながら港区が成立した昭和二二年(一九四七)以前のものが現存しており、建物疎開に関する文書が参照された(四章三節二項参照)。
それ以外にも、地域経済の一側面を伝える資料として、かつて芝区三田二丁目に開業していた太田屋多田質店の経営帳簿(慶應義塾福澤研究センター所蔵)の研究成果も紹介している(三章四節一項参照)。これもまた近年見出された特筆される稀有な資料群であろう。