近代における港区域の個性

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 昭和二四年(一九四九)に制定された「港区歌」の二番と三番の歌詞には、次のように歌われている。
 
 二、丘辺より 電波さやけく
 ひろごるや 世界の涯に
 きそい咲く 文化の花の
 かがやかし 香りもゆかし
 ああ 港区は さきがけの
 港区は さきがけの
 自由の 天と地よ
 
 三、賑わしき 出船入船
 幸いを 世界と頒つ
 新しき 日本のかどで
 健やけし 望みもすがし
 ああ 港区は よみがえる
 港区は よみがえる
 世紀の ふるさとよ
 
 ここに歌われる港区は、「文化の花」が競い咲くとともに、賑やかな港湾が世界と幸せを分かち合う地である。「電波」が飛び、自由や文明の「さきがけ」をなす土地であり、「世紀のふるさと」である。
 港区域は、西側の大部分が武蔵野台地の縁にあたる台地、東側は東京湾に面した低地となっている。川沿いの低地が台地に入り組み、その台地上のいわゆる「山の手」の地域は、有力者の邸宅や公的な施設が多く所在する緑豊かな地域が形成された。文化が息づく低地の下町には商業地が発達し、また明治以降港湾部の埋立地が拡大して工業地帯が形成され、「賑わしき出船入船」の東京港の築港も進められた。文明開化を象徴する出来事である、明治五年(一八七二)の新橋駅の開業も、大正一四年(一九二五)のラジオ放送開始も港区域内での出来事で、わざわざ「電波」が歌い込まれているのも面白い。
 モノも人も情報(「電波」)も行き交う近代化の玄関口、まさに「世紀のふるさと」の語に相応しい土地柄なのである。