江戸の多くを占めていた武家地は市街地として再編されていったが、港区域において明治初期の市街地の発展状況は、地域によって大きな差異を生じていた。
まず、江戸時代において町地であった地域は、維新後の武家地処分をめぐる変動の影響は小さく、市街地として商工業が発展していく地域が多い。一方で、武家地であった地域は、市街地を形成して人口が増加し発展していく地域と、明治初期の段階では十分に人口が増加せず、桑茶政策の影響などもあって農地や空き地となっていた地域などに分かれていった。
明治初期の港区域では、こうした市街地における手工業を中心とした工業と商業が展開されていくが、明治政府の殖産興業政策により工場制機械工業が生産の中心へと移っていくことによって、港区域における手工業も明治一〇年代半ば以降はしだいに衰退していくことになる。
なお、明治初期の港区域において商工業が発展していた地域として、次に述べる四つの地域を挙げられよう。